もう半年、まだ半年

前回の記事からだいぶ時間が経っていたみたいです。
読み返してみると、拙いながらもブログが私の良い捌け口になっているみたいで嬉しいです。

ブログを書くのが難しい状況だったり、他に発散する場所を見つけたりと
意外にもすぐ放置してしまいましたが、気分にまかせて書いていくとします。

言いたいことはいくらでもあるのですが
あまりに些細なことまで挙げ連ねていくのも気恥ずかしいので
簡単に今の私の気持ちを整理したいと思います。
センシティブなことなので、文体は私が書きやすく読みやすいものにします。


今の私の体調 

2年前と比べると驚くほど良い。
薬(胃腸系です)も少し減った。
私の中の「普通の人」に近づいている実感がある。

ももっともっと健康になりたい、
もっと不安に思わないくらい普通の健康が欲しい。
気を遣っても荒れる肌を治したい。
たまに訪れるどうしようもないマイナスの時期を軽減したい。

そんな健康への執念は減っていない。
きっと自分と同じ20歳のみんなと同じだけ若く健康でいたいと願っているからだ。
そんなことは無理だし、そもそも私の他にも不健康な20歳の人だって沢山いるはずなのにおかしい。
おかしいんだな、私は。
でも、健康そのものを望んでる私はおかしくなんかないはずなんだ…。

今の私と家族

良くも悪くも変わってない。
私だけ変わり続けて、その隣に居る人があまり変わっている気がしないのは歳の差かな?
正確には変わったなぁと思うときと変わってないなぁと思うときがあるので混乱している感じ。
変わらず隣に居てくれてるだけでもかなり有り難いので不満はないけれど、不安に思うこともある。

私は正直に言って、かなり無能です。
でも家族を支えることが可能な人間だと思っています。
自分にできることで家族に貢献します。

今の私の精神状態

体から年中血が流れ出ていた頃に比べると
体の内側から命令されるような、湧き上がってくるような、
あの得体の知れない悪魔の囁きのような
「しね らくになれ」
という気持ちはずいぶん減ったと思う。
まあ、野生で生きていく生物の基準だと私の持病は大きすぎる欠陥なので、
私の本能が淘汰を促しているのだとずっと思っています。
でも私は多少の理性を持ち合わせていて、
私の理性に書き込まれている正義には
「人間は人としての尊厳と繋がりがあるうちは自死が許されない」
というものがありましたので死ぬに死ねませんでした。
もちろん、普通に死にたくなかったしやりたいこともあったし(やる気なかったけど)死ぬのは怖いので嫌でした。
あの頃は本能と理性とまた別の本能と、
あらゆる私が私の中で戦争していて
布団の中でも心休まる日はありませんでした。

客観的に見れば
10代の人間が得るには大きすぎる苦痛が幾度も重なってしまったので
心の島で嵐がおきてしまったのでしょう。
今は嵐も止んでボロボロになった島の後片付けをしています。
片付けの次は修理して立て直しです。
それも終わったら、またぐんぐんと前に進みたいと思っています。
時間足りないなぁ。とほほ…
でもやらないよりは良い。

躁鬱の波の大きさは、もともと普通の人よりちょっと大きいので
あと少し波が小さくなれば、元の私に近い状態になれるはずです。

一年前に精神科のお医者さんにも一度だけ見てもらいましたが、
元の性格が馬鹿…いえポジティブなおかげで
通常では考えられないほど鬱症状が軽いらしいです。
あなたの経験なら重篤な鬱でもおかしくないと言われました。
メンタル強くて(?)よかったー
身体も強いと良かったんですけどねぇ…

でも歪みがあるのは事実でそこから悪化することも
有り得るので油断せずに行きましょう。





毎日、健康で生きるために。
基礎を怠らず。
自分をとにかく大切に。

がんばるぞー!!!おなかすいた!!!

感想文

いろいろ思いついたり思い詰めたりして、

何かしら書きたいことはあったのですが

どうもまだ健全に心が働かないらしく

飲み込んだり忘却で誤魔化したりしているうちに

書くことすら忘れていました。

 

なのでとりあえずは、読書感想文でも書こうと思います。

 

「重力ピエロ:伊坂幸太郎」を読んで

 

まず伊坂幸太郎さんはとても読みやすい文章を書くと聞き、

読んでみたいけど読んでいなかった作家さんでした。

あ、こんな書き出しですが私はそれほど読書家ではないです・・・。

 

読んでみて、文章は本当に読みやすかったです。

どこかの雑誌で連載されていた作品だったのでしょうか?

小さな章が沢山あり途中で読む手を止めるのも簡単です(笑)

私はミステリー小説はあまり好んで買いませんが

ミステリー要素も十分にありつつ、ひねくれたロジックはありません。

私が「たぶんこうなるかな」というストレートな想像がそのまま

謎の回答になっていたので、やさしくて嬉しかったです。

 

読者の思考の裏をかくことでエンターテイメント性を高くしている本は、

あまり今の性にあっていないようです。

闘争心が強くなっているときはそういう本も面白かったんですけどね。

健全な心身に戻ればまた面白くなれる気もしますね。

 

話がそれたので戻します。

 

私は読んでいる時、登場人物の誰にも感情移入はしていません。

たぶんその時の精神状態では難しかったからです。

なので読んでいる最中も読後も強い感動というものは得ていないので

さっぱりした感想しか書けません・・・情けない。

 

春は結局目的を果たしてしまいますが、

その行動は何の為と言えるのか・・・。

自分の生い立ちからくる性嫌悪は春ほどではありませんが

私にも経験があります。

元凶を殺してしまえたら、どんなに安堵することでしょうか。

 

なんていうんでしょうか。

全く清々しくはなく、思い出せば新しい嫌悪にも襲われましょうが、

それでもなお、自分を長らく縛り付けていたものを焼き払ったような

「はじまり」の為の「おわり」がやっと来たことに対する

安堵と喜びは、必ず得られると思います。

どんなに倫理的に間違っていたとしても。

細かいことを言えば「おわり」に安堵し、

これからはもう泣く必要がない、周りの人間も泣かなくていい、

そういう未来が約束されたという「はじまり」の喜びがあるのではないでしょうか。

 

ただやはり倫理的に間違っているのは変わりませんね。

物語ではとても気持ちのよいハッピーエンド(?)でしたが、

実際の人間がこういう行為に及んだ場合、

春はこの先誰とも恋愛に発展しないでしょうね。

そういう人間になるために春は幼少時から恋愛ごとを避けているようですから

そのままでしたら全く問題がないのかもしれません。

でも、先程の安堵と喜びを得て、春が普通の人間に近づいてしまったとき。

普通の人に近づくことを春自身が許すようになったとき。

まぁ、罪がそこから清算され始めるのでしょうね。

 

物語での春は自分で警察に行くとは言っていますが、

正直全く行く気はなさそうですw

「いけないことしたから警察に出頭(自首)する」

という言い分は、罪を清算する誠意しか存在しないように感じます。

もちろん誠意があるのはいいことなのですが、

後悔、反省、そういう気持ちがあってこその贖罪・・・という意見もあります。

警察に出頭せずに自分の人生を見つめ直す時間を経て、

どうするべきか決めてくれたらいいですね。

 

さて、主人公(兄:和泉)について全く触れずに

感想を書き終えたいと思います((゚∀゚))

なぜならPC眼鏡も目薬もせずに書き続けた結果、

大分眼球疲労がきてしまったのと

そもそも書き始めたのが食後だったので

ずっと眠い中まぶたを閉じてタイピングするという荒業をし

全く頭が働いていないからです(゜∀。)

オヤスミナサイ.......orz

 

はじめに

このブログは私の気まぐれや移り気を記録しておくところにするつもりです。

できれば堅苦しくないかたちで

必ずいつか真逆のことを言ったり考えたりするであろう私を

ただここに留めておきたいと思います。

 

でも、あまりに自己本位だと人間長続きできないものですから

誰かに読ませることを意識してみたいと思います。

 

***

ブログというものに手を出すのは、小学二年生以来です。

私はもうすぐ20歳になります。

あの頃から10年の月日が過ぎました。

私が子供の頃に徘徊していた「ブログ」はとうの昔に葬られたようです。

 

twitterなどのSNSがとても強い影響力を持つことなど

昔とは違うことが沢山ありますが、

現実の自分の居場所を越えて沢山の人と出会えること

これは今も変わらない素敵なことです。

 

古くからインターネットに触れてきた友人には

今のインターネットは駄目だ

と言いつつtwitterfacebookを活用する猛者もおりますが(・∀・)、

それはまあ、好きなお店が人気店になってしまうようなもので

今も好きであることは変わらないのですね。

 

私も一度はなれた身ではありますが

昔と同じように、素敵な出会いを期待してしまいます。

 

でも、まずは自分のことを残していかねばね。

 

頑張ります。続けるために。

 

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